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2011年4月

寝詩のままに

寝詩のままに
曜日感覚、日付感覚が無くなってた。

システム

システム
お役所の人たち全てが悪い訳ではないでしょう。

お役所仕事が身に染みついちゃってるのも、あるいは仕方ないのかもしれませんし。

でも、
普通に考えて、
普通に感じて、
普通に対処すると逸脱するシステムって。。。?


ま、何もない僕は、やっぱり「今」でいっぱいいっぱいですけどね。

さ、

さ、
今日もがんばろう!

違和感

歌津、志津川、気仙沼・・・
行く先々で桜が咲いてる。

なんか、今年の桜は咲いてる時間が長い気がする。



実はタベについて企画はしていたのですが、あれからずっと仙台に居る為になかなかお伝えすることができずにいました。
少しでも興味を持っていただける方がいらっしゃいましたら4/28までにメールを貰えると嬉しいです。
メールをいただけた方にこちらから詳細メールを送付させていただきたいと思います。

堂々巡り

堂々巡り
迷い道だ。

不条理

不条理
スッキリしない。

ミッキー&ミニー

ミッキー&ミニー
避難所に一瞬でも
少しだけでも
笑顔が増えるのかな

夜の砂場

夜の砂場
冷たい雨が続くけど。。。

雲一転

雲一転
僕が逆に元気をもらってる。
笑顔をもらってる。


勇気を教えてもらってる。
感謝を教えてもらってる。
強さを教えてもらってる。


一日一日が長くて
一日一日が、あっという間で。


明日も、この月明かりを見たいな。

南三陸町

南三陸町
文字にすらできない。


青い壁が迫ってきたそうです。


3階建のビル
その屋上に逃げたのに
目の前に青い壁が覆い被さってきたそうです。


今日だけじゃない。
これからも一緒に前進する為に、また会いに行きます。
呼んでくれてありがとう、山さん!

雨から

雨から
4月なのに雪!

閖上〜亘理・相馬

閖上〜亘理・相馬
工場の稼働再開や、市町村による撤去の目処がたつ等、少しづつ復興への第一歩的なニュースが増え始めましたね。


でも、未だに電気・水道・ガスはもとより、食糧が行き渡らない所は数えきれないほど。
物資が届かず孤立している場所も山ほどあります。


「忘れられてるんじゃないか?」
という不安と、「忘れられてしまうんじゃないか?」という不安。
これが、特にここ2、3日で僕が一番多く言われる言葉です。


美しかった街を忘れない。
変わり果てた姿、今のこの光景を忘れない。

あなたがこの街に居る事を忘れない。
今もなお、苦しみながらも弱音一つこぼさず頑張っているあなたがいる事を忘れない。

だから、テレビやラジオ、新聞のニュースで「少しづつ見えてきた復興の兆し」を多く目にしたとしても、そのニュースすら見聞きする事ができずに耐え続けてる人達が大勢いる現実と今後も真っ直ぐに向き合っていきます。

ここ数日、「ラジオ聴いてました。」という方からの「避難所訪問リクエストメール」が多くなってきてホッとしてます。

無事でいてくれた事に感謝。
会いたいと云ってくれる事に感謝。


まわれる限り、引き続き歩き続けようと思います。

勿論、明日も。

平間汁

平間汁
会えて嬉しい人達ばかりだ。


これからも、暗闇を照らし続けてくださいね。

痛い

痛い
地震の被害は大きくて。
津波の被害もとても大きくて。

でもやっぱり、一番大きいのは
心の傷。


「桜がきれい」
「久しぶりに明るい気持ちです」


そんな言葉が聴かれるようになったものの、それでもまだまだ、ほんの少しの先が見えない。
ほんの少しの先を考える事ができない。
そんな人達がたくさんいるのが現実。

新学期が始まったタイミングで、避難所として使われていた学校や体育館から別の避難所への移動を余儀なくされる人達も大勢いる訳で。


様々なストレスが更に重なってくる中で、少しでも、「休息」という言葉を思い出せる瞬間が増えていくといいな。

瓦礫を片付ける作業を日々続けている友人達と共に、明日はまた塩釜方面かな。

不忘

不忘
今の、この光景。
今日の、この景色。
今までの、出来事。

記憶

記憶
以前と変わらない景色を見つけるのが、難しい。


今日は、避難所での約束を果たした後に東松島へ連れていってもらいました。

約束

約束
今日から明日へ

これが余震?
今までだったら「大きな揺れ」だよね

GORO-SAN

GORO-SAN
先月25日から1人でまわっていた避難所の数々。

本日、初めて仙台市内から車でおよそ1時間ほど離れた町「七ヶ浜」へ。


仙台でいつもお世話になっていた方々に案内してもらったのは、「七ヶ浜国際村」。

以前、訪れた事のある風光明美な芸術スポットには260人のみなさんが避難していました。
仙台から塩釜市へと続く湾岸の産業道路から東へ折れた先の高台にある七ヶ浜国際村。


仙台市内の避難所で見聞きした惨状とは全く別の「地獄」が、目的地へと向かう僕の目に次々と飛び込んできました。

先月の大震災以来、どんな言葉でも、またどんな文章でも真実を伝え得るにはほど遠く、自分自身薄っぺらにしか感じることができずBlogを書く事ができませんでした。
3/11の大震災を海外で知った瞬間から、多くの感情が僕の理性を何処かへ押しやってしまいました。

大切な人達、もちろんそれは、ラジオをやっていた頃のリスナーのみんなだったり、いつもご飯を食べに行っていたあの店の人達だったり、命にかえても守りたい親友だったり。。。

僕にとって大切な街にやっと入れたのは、帰国して東北道が通行可能になった日の朝でした。
営業していないほとんどの店舗。
渋滞していない二番町通り。
大きな荷物を抱えた人達が黙々と歩いている駅周辺。
どれもこれも、20年来見たことのない、僕の知らない「仙台」がそこにありました。

東部道路を見上げながら右手を見ると、以前映画を観にいった仙台コロナ。大型アウトレットの観覧車。取材でお世話になった車屋さん。
橋を渡ると多賀城市。
仙台港からフェリーに乗るときに立ち寄ったミスド。番組スタッフと一緒に行った焼肉店。
記憶の中の景色を、津波の爪跡は残酷なくらいに引き裂いていました。


その光景を、
コンテナに潰された店を、
ひしゃげたビルに不自然な程積み重なった原型を留めぬ車を、
泥と瓦礫に押し流されたスタンドを、
未だ電気が通らず消えたまま傾く信号機を、
泥濘と化した住宅街を、カメラにおさめることができませんでした。
この現状を、1人でも多くの人に見てもらい、知ってもらえれば。。。
そう思いながらも、シャッターを押すことはできませんでした。

「工場長!」と、懐かしげに声をかけてくれました。
「園長!?」と、涙ぐみながら右手を差し出してくれました。
そして今日、七ヶ浜国際村で話す事のできた5人の男子高校生。まさに今日からまた4日間の断水を前に、笑顔で手を振ってくれました。

遠い先の光かもしれません。
その立場にならないと解らないかもしれません。


でもやっぱり、当たり前の事を、小さな事でも少しづつでも。。。
話を聴く事しかできない僕は、引き続きほんの少しづつ、1人づつ目を見て話を聴き続けていきたいと思います。


やっと今日、ここまで書く事ができたのは、怒り・哀しみ・嘆き、そして希望を僕にぶつけてくれた方々と、自分自身の事は後回しで救援活動を続けている大切な友人達のおかげです。

FUTURE

FUTURE
あれからちょうど一ヶ月。
昨日から再び仙台に来てます。


引き続き、僕にできる事を続けます。
小さな事しかできませんが。

TOMORROW

TOMORROW

TRUTH

TRUTH

FAITH

FAITH

JOY

JOY

INSPIRIT

INSPIRIT

RELIEVE

RELIEVE

TREASURE

TREASURE

PURE

PURE

SPLENDID

SPLENDID

EMBRACE

EMBRACE

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